ログインようやく家族3人での帰り道は喧騒から離れてホッと一息といったところ。
あいかわらず道行く人からの視線は感じるけど。違うとはわかっていてもキレイな姉とかわいい妹を連れて両手に華なのがうらやましいんだなと決めつけ虚しい優越感に浸っているとひよりが苦情を言ってきた。
「ゆきちゃんひどいよ!なんで今朝はかわいい妹をほって先に行っちゃったの~?」
わたしの腕を捕まえながら頬を膨らませて拗ねている。ひよりは昔からお兄ちゃん子で中学生になった今でも変わらずこうやってくっついて甘えてくれる。
普通の妹は兄をごみのように扱うとも聞くのでこの甘えん坊の妹がかわいくて仕方ない。
あぁもう!拗ねた顔も可愛いなこいつは!孫を甘やかすおじいちゃんのような締まりのない顔になりながらひよりの頭を撫でる。
「ごめんってば。だって早く学校に行きたいのに二人とも遅いんだもん。待ちきれなくて」
「もう~!ほんとにゆきちゃんは学校好きだよね」
しょうがないなぁといった感じで呆れられた。わたしが学校を好きなのは当然!
「そりゃわたしは雪の精霊だからね!ヒトの集まるところが好きなんだよ!」
雪の精霊は人々に幸せを届けるのが使命だから人が多く集まるところを好む生き物なんです!
「でた、ゆきのいつもの中二設定」
ダブルでひどい言いざまだ。中二だけど中二じゃないし!それに設定とかゆーな。
あか姉は口調がぶっきらぼうだし表情筋も死んでるから誤解されやすいけど本当は世話焼きですごく優しい。歳も近いし親しみやすい大好きなお姉ちゃん。
「あんまり人前で言うとイタイ子だと思われる」
でも時々毒を吐く。
通学路はそんなに長くもないので他愛ない会話をしているうちに我が家へと到着。
以前日本にいた時は3LDKのマンションに住んでて家族みんなで雑魚寝状態だったけど、アメリカで広い家を経験してしまったわたし達は贅沢になってしまった。
なので日本へ帰国することが決まったとき、両親に懇願して夢のマイホームを購入してもらった。
わたしが日米両国での芸能活動で稼いだお金を両親が貯金してくれていたので、そのお金も奮発してもらってまずは念願の一人部屋を全員獲得。
そしてリビング。うちは家族仲が良くて基本みんなはリビングで過ごすことが多いんだけど、その広さも十分で全員集まってもゆっくりできる理想の間取り。
もうひとつスポンサーとしての発言力でワガママを言ったんだけど、その話はまた後で。
玄関で靴を脱ぎ、憩いのリビングに入るとかの姉が先に帰っていてソファでテレビを見てくつろいでた。
「あらあら~。みんなそろっておかえりなさ~い。」
口調の通りおっとり系のかの姉は我が家の癒し。ただひたすらマイペースでなにかと手のかかるところもある。あか姉が世話焼きになったのは間違いなくかの姉の影響だろう。
どことなく母性が感じられる優しさで一緒にいると安心できる。もちろん大好きな姉さん。
「ちょっと校門前で捕まっちゃってね。より姉はまだなの?」
「まだ帰ってこないわねぇ。にしてもゆきちゃんの人気ぶりは相変わらずなのねぇ」
わたしは何も言っていないのになぜわたしが捕まったことになっているのか。
わたしが異議を申し立てる前にひよりが「ほんとゆきちゃん人気がすごくてわたし達が見つけた時には芸能人並みに囲まれてて近づくのも一苦労だったよ!」と言い、あか姉がそれにうなづいたことでわたしの言論は封殺されてしまう。
かの姉も最初から分かっていたとばかりに「ゆきちゃんはどこに行ってもみんなに好かれますから」と事実認定。
恥ずかしくなってきたのでなんとか反論しようと「お姉ちゃんたちも十分人気者じゃない。男子のファン多いらしいよ!」と発言するものの「ゆきは男女問わずだけどな」とあか姉によってあえなく返り討ちに会い撃沈。
「ぐう……」
なんとかぐうの音は出た。
同性にモテても嬉しくないし!異性からはモテているというよりも珍しい生き物を珍重するような扱いだし。わたしはツチノコかなんかですかね?
友達が増えるのは嬉しいんだけど。何度でも言うけど中身はちゃんとノーマルな男の子です。
「たで~ま~」
そうこう言っているうちに長女のより姉が帰宅。おかげでこれ以上不利となる前に話題を終わらせることができた。
「おかえり~」
あいさつは大事。我が家ではおはようからおやすみまであいさつ徹底。
これで
「おーみんな帰ってきてたかー。ひさびさに帰ってきた日本は楽しかったか」
思春期真っただ中に母さんが再婚したせいか、一時期新しいお父さんに反抗していた時期があったより姉。その影響でちょっと口が悪いけど、誰よりも家族愛の強い我が家の長女。責任感もあってすごく頼りになる、そしてみんなを守ろうとしてくれる大好きなお姉ちゃん。
お父さんともいまでは打ち解けて普通に会話するようになった。
「すごく親切にしてもらいましたよ~。やっぱり日本人は思いやりのある人が多いですね。」「友達ができた」「みんな優しくて楽しかったよ!相変わらずゆきちゃんは大人気だったしね!」「質問攻めでちょっと疲れたけど楽しかったよ」とみんなの報告を聞いてより姉は満足げにうなづく。
「そかそか。みんな楽しそうで何よりだ!ゆきも相変わらずみてーだしな!わははは!」
笑い方。アニキって呼んでいい?
「ゆき、なんかよからぬこと考えてないか?」
「みんな帰ってきたことだし、晩御飯作り始めるね」
より姉怒ると怖いからここは華麗にスルー。
我が家の食事作りはわたしの役目。他のみんなもそれなりにできるけど、わたし自身料理が好きだし、みんなが美味しそうに食べてくれるのを見るととっても幸せな気持ちになる。だからこの役目は譲れない。
小学生の低学年の頃からお母さんの手伝いをし始めて、全部ひとりでできるようになったころには「お母さんが作るより美味しいよ」って褒めてもらった。
それ以来ずっとみんなに美味しい料理を食べてもらいたくて作り続けてるんだけど、幸せそうな顔をもっと見たくてレパートリーをいろいろ開発中。努力の甲斐もあって腕前にはそれなりの自信がある。
「昨日買い物に行って調味料を揃えることができたから今日は和食だよ。やっぱり日本は調味料が豊富で料理の幅が広がるな~!」
「しばらくは引っ越しの後片付け大変だったもんね。ゆきちゃんの和食たのしみ!あ~おなかすいた~」
「我が家のおふくろの味はすっかりゆきの味」
「いつもわりーな、ゆき。今日は転校初日だし疲れてるんじゃないか?」
「全然大丈夫!それにみんなのお世話をするのはわたしの生きがいだし!」
みんなが安心して暮らせるように家事をするのがわたしの喜び。だから料理と掃除はわたしの担当。
本当は家事全般したいけど、そこはさすがに年頃の女の子たち。ちゃんとわたしを男の子だと認識しているようで、洗濯だけは姉妹四人が交代でやっている。
わたしも姉や妹に下着を触られるのは恥ずかしいんだけどな……。まぁみんなの下着を洗濯するっていうのもそれはそれで複雑な気分になるだろうし我慢するけど。
「手伝うことがあったらなんでも言ってくださいね~」
「大丈夫だよ!お父さんとお母さんは遅くなるのかな?」
「あー二人とも遅くなるみたいだから先に食べとけってメールきてたぞ」
二人とも忙しいみたいでこうやって遅くなることがほとんどだけど、毎回必ずこうやって誰かに連絡をしてくれている。
なので毎回「了解。温められるようにしとくね」と対応をしておくことができるので家族の間でも報連相って大事。
もう何年も続けてきた慣れた作業なので手際よく調理をすすめる。他の姉妹たちはひとりとして部屋にこもったりせずリビングで思い思いに過ごしている。
みんな家族で過ごすのが大好きなので自己中心的な行動をとる人なんていない、温かい関係。みんなの姿が見えて安心する。対面キッチンにしてよかった。
ちなみに今日の献立はぶり大根と菜の花の胡麻和え、筑前煮にお味噌汁。和風調味料が嬉しくて煮物が二品になっちゃった。時短調理法でどちらもしっかり味はしみこんでいる。
女の子とはいえみんな育ちざかりなのでけっこうな量を作る必要があったけど、それもいつものことなので手際よく料理してほどなく完成。
配膳や食器を出したりはいつも手伝ってくれるので食事の準備も終わってわたし以外みんな食卓に着いて待機。調理器具を洗うわずかな時間だけど待ってくれている。
我が家では仲間外れは許されない。洗い物も終わりわたしが席についたのを見てより姉がみんなに呼びかける。
「みんな揃ったなー。んじゃ食べっか」
全員で声をそろえて『いただきます』
いつもと変わらないみんな揃っての食事。なんてことはないみんなにとっては当たり前、日常の一コマに過ぎないこの時間がわたしにとっては至福の時間。
「おいし~!さすがゆきちゃんだね!割と短時間で作ってるのに煮物なんかも全部しっかり味が染みてるのすごいよね」
「これも才能と経験ってやつかな。料理にもセンスが必要って言うし、ゆきには歌と踊り以外に料理のセンスもあるってこった。下手なお店よりうめーもんな」
「普通にお金とれるレベル」
「ほんとゆきちゃんはいいお嫁さんになれるわねぇ」
嫁ちゃうし。
「そんな褒めてもデザートのわらび餅くらいしか出ないよ~」
「やった~ゆきちゃん手作りのわらび餅だ!」
「手作りかー。あいかわらずのことだけどゆきはほんとなんでもできるな」
「そんなに難しいもんじゃないよ。覚えればみんなでもできるくらい」
「それできるやつ理論」
あか姉いわくその辺で買えば決して高価でもないものをわざわざ自分で作ろうとすること自体ができるやつだからこそ言える。まず作ろうという考えすら浮かばないとのこと。
どうせならおいしいのを食べてほしいから手作りをするだけなんだけどな。自分で作れば好みの味に調整できるしね。
「ちょっとしたものでも一番いいものをあたしらに提供しようとしてくれてるってことだろ。ゆきみてーなできた弟をもったあたしらは幸せもんだな」
そこまで褒められたら悪い気なんてしない。でもね、優しい姉さんたちと可愛い妹に囲まれて暮らしてるわたしがきっと一番幸せ者だと思ってるよ。恥ずかしいから口には出さないけどね!
「おいしかった~!」
いつも食べるのが一番遅いひよりも食べ終わったところでみんな揃って「ごちそうさま」
全員が食べ終わるまで誰も席を立とうとしないのも我が家での暗黙の了解。その後に出したわらび餅をおいしくたいらげて、何も言わずとも各々がシンクに運んでくれた食器を洗い出す。
これもみんなのお世話の内だからわたしのお仕事だけど、いつも誰かが手伝ってくれる。今日はひよりが食器拭きを手伝ってくれた。
そして食後のまったりタイム。
アメリカに住んでいた時からの習慣で、十分な広さのあるリビングには家族全員が座っても余裕があるほどのソファーがコの字に配置されてるんだけど、相談したわけでもないのに座る位置はいつも決まっている。
テレビ正面の中央がわたしで左側にひより。右がより姉。テレビに向かって左側の辺にかの姉とあか姉が座る。普段あまり家にいることの少ない両親だけど、いても右側の辺に二人並んで座るのでわたしの場所は変わらない。
一家の大黒柱なんだから真ん中に座るように言ってもわたし達が並んでいるのを眺めているのがいいからと拒否された。
広いソファーなのでひよりとより姉の両側も空いてるからそこに座らないのかとかの姉たちに聞いたところ、それだとわたしの顔が見えないからイヤらしい。
年長者たちを差し置いてど真ん中へと座ることに最初はいたたまれない気持ちになったけど、誰も場所を変えようとしないのでそのうちに慣れてしまった。
ちなみにひよりやより姉がいない時はかの姉かあか姉が代わりに座るからわたしの両側が空席になることはない。
2人は順番なんかを決めていないみたいだけど争うことなくその時の状況次第って感じでわたしの隣に座る。性格は正反対なのに仲がいいんだよね、この2人。小さいころから2人でいることが多かったせいだろう。
テレビを見ながら何気ない会話をしていたらいい時間になってきたのでお風呂に湯を張った。
我が家のお風呂もこだわりポイントのひとつでとにかく広い。旅館の家族風呂なみの広さがあるので姉たちが全員で入っても余裕なくらいの広さがある。シャワーは4つ。
本当はもっと増やそうとしたけど水圧が維持できないという理由でこうなったみたいなんだけど、それ以上増やす意味ないよね?家族全員で入る気だったのか?リスナーさんの前で復帰祝いの唄を披露し、失敗してしまったあの日から一年以上の月日が過ぎて、わたしは二十二歳になった。 そして今、わたしはある一室にいる。 「わたしはもっとみんなの近くで唄いたい!」 そう宣言してから半年以上、わたしはリハビリとボイトレに励み、そして自分の声を完全に取り戻した。いや超えた。 かつての音域からさらに半オクターブ、広げることができたのだ。 そしてわたしはボイトレに励みながら、ある計画を実現させるためにかつての自分の考えを覆す決断をしていた。「それではその時は全面的にプロデュースをお願いするということで。利益の取り分は書面通りで構いません。よろしくお願いします」 かつて大阪で琴音ちゃんを通じて知り合った女性プロデューサー、五代さんに向かって頭を下げる。「こちらとしてはどんな条件であれ、ゆきさんに来てもらえるなら大歓迎です。でも一体どういった理由で心変わりを?」 芸能界という世界を毛嫌いし、関連するようなところとは極力距離をおいてきたわたしが突然こんなことを言いだしたのだから、疑問に思うのも当然だろう。「確固たる目的のためです。わたしが以前、脳の障害で一年以上昏睡状態にあったのはご存知ですよね?」 黙って頷く五代さん。 ネットどころかオールドメディアでもニュースになったような出来事だから知っているのは当然だろう。いや、その仕事からしてたとえニュースにはなっていなくとも、彼女ならそのネットワークで情報を得ていただろうと思う。「元々わたしは幼いころから脳の障害を抱え、余命も宣告されていたことから生きることに対して諦めの気持ちがありました。だけどそれを変えてくれた人たちがいた」「お姉さん達ですね」 意外な人から突然核心をつかれてしまったことに驚き、わたしは目を見開いた。どうしてこの人がそのことを? わたしの疑問が顔に出ていたのか、五代さんはふっと笑うと以前は見せることのなかった柔和な表情を浮かべた。「ゆきさん、わたしは何も企業利益だけを考えてあなたに声をかけたわけじゃありませんよ。わたし
「みんなただいま!」 ようやく帰宅許可が下り、無事退院となったその日。 我が家では家族全員が休みを取って快気祝いのパーティーを準備してくれていた。「「「「おかえり!」」」」 声を聞くだけで分かる、心から待ちわびていた祝いの言葉。 お母さんから始まって、家族全員とハグをした。この辺はアメリカ生活をしていた名残なのかな。 お父さんは少し恥ずかしそうにしてたけど。息子相手なのになぁ。「それで、もう日常生活に支障はないのか?」 より姉が気づかわしげな視線で尋ねてきたので、わたしは元気をアピールするために腕をぐるぐる回してみせた。「この通り、すっかり元気だよ! まだ激しい運動は止められているけど、軽い筋トレくらいなら大丈夫。日常生活の筋力を取り戻すためにも家事は積極的にやってくださいだって。だから明日からはまたわたしがご飯を作るからね!」「……!」 みんな声にならないほどの衝撃を受けている。え、わたしがご飯を作るのってマズイ?「ま、またゆきのご飯が食べられる……」 両手で口を押さえたお母さんが感涙にむせぶ。えぇ、そんなに!? かの姉とあか姉は無言で両手を天高く突き上げている。一片の悔いなし? そしてより姉とひよりに両サイドから抱き着かれてしまった。「一年半ぶりのゆきちゃんの手料理! もう今からお腹が空いてきたよ!」 明日まで待ってたら餓死しそうだね。「いかん、よだれがとまらん」 本当によだれを垂らしてしまうより姉。乙女のする顔じゃないぞ。 でもこんなに待ち焦がれてくれていたとなれば腕が鳴るというもの。明日は目いっぱいご馳走を作ろう。「でも思ったよりも早く退院できましたね」 ようやく気分の落ち着いたかの姉がオードブルの並んだ食卓につきながら、感心したように言って来た。「そうだね。若さもあるけど、それ以上に頑張ったしね」 最初は半年の予定でリハビリプログラムを組
立てるようになってからのリハビリは、想像していた以上に大変だった。 平行棒、杖、歩行器を用いて転倒防止に注意しながら、重心移動や筋力向上、正しい歩行様式を取り戻していくのは一朝一夕にできるようなものではなく、なかなか思うように動いてくれない体に苛立ちを覚えつつも地道に筋力を蓄えていく作業。 下手に頑張りすぎると逆効果になると分かってはいるけど、一日も早い復帰を願う気持ちはなかなか抑えられるものでなく、遅々として進まないリハビリプログラムにヤキモキしていた。「さすが若いだけあって回復が早いですね」 歩行訓練後のマッサージをしてくれながら、理学療法士の飯島さんがそう言ってくれる。「自分では回復が遅く感じてしまい、どうしても焦ってしまうんですけどね」 どうしても頭をもたげてしまう焦りの心。 愚痴をこぼしたところでどうにもならないとは分かっているけど、ずっと優しく指導をしてくれる飯島さんにはつい甘えてしまう。「早くおうちに帰りたいですもんね。でもね、わたしもあなたのファンだから言うけれど、待っている側からすれば焦って戻ってきて取り返しのつかない後遺症が残るくらいなら、何年でも待つから万全な状態で戻ってきてほしいと願うものですよ」 優しい手つきでふくらはぎを揉み解しながら、それ以上に優しい笑顔を見せてくれる飯島さん。 リハビリが始まった当初からわたしのファンを公言していて、担当が決まった時には飛び上がって喜んだそうだ。 そんな熱心なファンをしてくれている彼女の言葉だから信じたいけれど、どうしても不安な気持ちは拭えない。「飯島さんはそうかもしれませんけど……」 八つ当たりにも似た発言だけど、飯島さんは気分を害した気配すらなく、穏やかに話を続けた。「不安になるのも分かりますけどね。ファンを信じるのもアーティストとしての務めじゃありませんか?」 ただの弱気の吐露にも関わらず、温かい表情で返ってきたその言葉に、わたしの中の何かが動いた。 今まで明確に意識したことはなかったけれど、わたしもアーティストの端くれな
リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。 だけど、そこからが過酷な日々の始まり。 最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。 その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。 そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。 ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。 スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。 だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。 その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」 嬉しそうに報告するわたし。「ふーん」 なんだか気のなさそうな返事をするより姉。「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」 なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」 報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?「何のこと?」 本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。「茜とのことだ」「ひうっ!」 突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」 カマかけられた! でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。「それで、だ。ゆき」 改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」 いや、あれはわたしの方からやったわけじゃな
「みなさん、こんにちは。どうもご無沙汰してました。雪の精霊、YUKIが今日もみんなに幸せを届けるよ! とまぁかつてのテンプレ挨拶をぶちかましたわけですが。みなさん、本当に長い間お待たせしました! ゆきはこの通り見事復活を果たして今ではピンピンしていますよ。 眠りこけていたおかげですっかり体がなまってしまったので、しばらくリハビリが必要なんですけど、またみんなに歌声を届けられる日が来るのも近いです」 ひよりに撮影許可とノートパソコンを頼んだ次の日、今日の当番だったあか姉が許可を取れた情報と共に届けてくれた。 そのパソコンを使ってさっそく配信予約を取り、夕食後の十九時に配信を開始した。 配信の告知をしたのは昨日なのに、みんな余程待ちかねてくれていたのか同接は60万人オーバー。 倒れる前の50万人を大きく上回る結果となった。「たくさんの人が見に来てくれて、それだけわたしの歌声がみんなに求められているんだと思うと感無量です。変わらぬ応援にとても感謝しています」 あまりのありがたさに思わず涙ぐんでしまう。だって一年以上ものブランクがあって、それでもこれだけの人が集まってくれるのが嬉しくて、ありがたくて。【歌ももちろんだけど、ゆきちゃんの顔が見たかった】【元気そうで安心した】【ゆきちゃんの姿を見たら涙が出てきた】【ほんと、おかえりなさい!】 歌だけじゃなく、わたし自身をも待ってくれていたというコメントに、とうとう涙が溢れてしまった。 あーあ、本当にわたし涙もろくなったよなぁ。男のくせにみっともないとは思うけど、止められないものはしょうがない。「みんな本当にありがとうね。一日も早くみんなの前で唄って踊れるよう、毎日リハビリ頑張ってるんだ! だからほら、一週間でもう立てるようになったんだよ」 そう言ってノートパソコンをテーブルの上に置き、立ち上がろうとするわたし。 まだ安定性には欠けるけど、どうにか自分の足で立ち上がることが出来た。隣であか姉がハラハラしたような顔で見てるけど。【あんまり無理はしないで】【ワイらはいつまでも待ってるから】【生まれたての小鹿みたいになってるやん】【怪我する前に座って!】 うちの姉妹だけでなく、リスナーさん達もわたしには過保護だな。「これくらい大丈夫だって。なんならターンしてみようか?」 調子に乗ってターンをしよう
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
想像通りというか当然というか、翌日のニュースはまたしてもわたしと琴音ちゃんのことで持ちきりだった。 なにせ現役のトップ歌手が芸能人でもないただの配信者のチャンネルで素顔をさらして堂々と出演したのだから。 しかも相手はかつての子役時代の相方。 昔の番組がテレビで取り上げられ、当時の映像が10年ぶりに視聴者の目に届くこととなった。『ピーノちゃん』と『ポロンちゃん』、久しぶりに目にする姿は懐かしいと同時にどこか面映ゆい。 琴音ちゃんの事務所としてはあくまでも幼馴染であるわたしのための友情出演ということで、なんら関
生徒会長は長期休暇に入ってもやることがいろいろとある。 特にわたしの場合は全校生徒に楽しい高校生活を!というスローガンを掲げているだけになおさらだ。 1学期に不登校気味だった生徒の家に訪ねていったり、生徒が変な事件に巻き込まれたりしないよう繁華街をパトロールしたりでゆっくりしている暇もない。 だけど、このまま放置するとまた姉妹たちのフラストレーションが溜まってしまう。 時にはオフの日も作って家族サービスしないとな。って社畜のおとうさんか、わたしは。 それに放っておくとだらけた生活になってしまうのもこの姉妹た
しくしく……。「ほらぁ、会長いつまでいじけてんの」 会長席に体育座りをしているわたしに向かい声をかけてくる睦美先輩。 他人事だからそんなこと言えるんですよ……。「人間苦手なもののひとつやふたつありますわよ」 佳乃先輩もお化けにがてなのかな?「まぁお化けが苦手というのは子供っぽくてかわいいですわね」 裏切り者!やっぱり子供っぽいって思ってんじゃん! 昨日の大騒ぎでみんなにバレちゃったよ…&he
昼一番で開催されるのは、ハッキリ言ってネタ枠の仮装リレー。 コスプレをして走るだけということなので快諾したのだけど、どんな衣装を着るかについては当日のお楽しみと言われた。 少しの不安を抱えてはいるけど、手芸部が作ってくれるということなのであんまり無茶はしないだろう。 そんな甘い認識は儚くも打ち砕かれることになった。「マジで!?これ着るの?」 衣装を前にそれだけ言うのが精いっぱいで絶句。 うちの手芸部レベル高いな! あと、小耳にはさんだ話ではこの仮装リレーには風紀委